プロフィール

初めまして! 空回り人生改善メソッドの、ゆりあ L (エル)です。

HSPやアダルトチルドレンとして生きる苦しさ、愛着障害があるために、夫婦関係や子育ての悩みを抱える方たちに寄り添い、解放に向けて、ナビゲートさせていただきます。

生まれ持った、4つの気質から、あなたの基礎となる気質を見つけ、そこから、周囲との関わり、影響などを一緒に考え、様々な手法を使って、自信を解き放つ方向に向かえるようにします。

まずは、私の生い立ちを、書いてみます。

妹の誕生とともに始まった、自己否定人生

私が3歳半の時に、妹が生まれました。その時を境に、大人に囲まれた、唯一の子供、という地位を奪われた、と感じたのだと思います。

内向的で、生まれつきネガティブ思考に寄りがちな気質なため、自分は一番好きになってもらえる存在ではない、自分は端にいたほうがいい、などと、自信が持てないという下地が出来上がったのだと思います。

端っこでひっそりと過ごす小学時代

自己主張なんてとんでもない。大勢で遊ぶのは大の苦手、無口、運動音痴。目立たなくて、嫌われはしないけれど、注目もされることのない子供でした。自分の感情は封印し、ただただ、周りに合わせる、というか、最後に付いていく、という感じでした。

なぜか人の面倒を見続けた中学時代

中学になると、2人以上との会話になると無口になる性格なのに、なぜか学級委員に選ばれたり、教科リーダー、果ては、教科リーダー”長”に先生から指名されたり。

班長になって、クラスで成績が最下位、疎外されている貧困家庭のクラスメイトの面倒を見たこともありました。

他人の世話をするのは好きだったけど、周りには頭の良いクラスメイトがたくさんいて、常に劣等感がまとわりつき、人知れず苦しい思いをしました。

なんだか理不尽で苦しい高校時代

高校を受験した直後に、父の急な転勤がありました。最初は教科書がなかなか届かず、宿題もできず、宿題をしていながために先生に怒られる、という毎日でした。

こんなにおとなしくて真面目な私が、教室の隅に立たされる、げんこつを喰らう、おとなしいとされる自分には、信じられない状況でした。

土地にも馴染めず、最初につまずいたせいで、要領の悪い私は、3年間、学力が追いつかないままでした。

アイデンティティ崩壊の音大時代

そして、東京にある音大に入ったのですが、周りは超弾ける人ばかり!

その上、それまで見たことも無いような、自信家の大集団の中にいて、キャパオーバーを起こします。

プライドがあるわりには、自信が壊滅的に無い私は圧倒され、なぜ私ごときがピアノなんかを弾く理由があるのか、と思い始めました。その上、レッスンは恐ろしく、弾いていて、いきなり突き飛ばされて、椅子から落ちたこともあります。そんなレッスンから逃れることばかり考えていました。

6歳から始めたピアノは、苦しい学校生活を助けてくれました。でも、ピアノが弾ける、という付加価値で、他のできないことを補っていた私という存在は、劣等感とともに、消滅しました。

東京での暮らし ー 教育期間の疲れから、何もやる気が出ない10年

長い間、自分を殺して、教育システムに合わせた後、何もやる気が出ず、紹介されたアルバイト、そして派遣社員などをして、責任の伴わないことをしながら、シングルライフを過ごしていました。

社員になっての上司や同僚とのシガラミ、労働時間外の飲み会やカラオケなんて、とんでもない。誰かに合わせる生き方はもうできない。自ら選んだわけではないグループにいるのは金輪際ごめんだ、と感じていました。

自分の中には、何の価値もない、という喪失感と、好きな友達はいても、友達が、私を大好きになってくれない、という、空回り感がいつもあり、目的の無いまま、年月が流れていきました。

スピリチュアル世界への接点と、視野の拡大

そんな中、スピリチュアルに傾いていた、その時のボーイフレンド不品行な行動を見て、「それは、スピリチュアル的に見ていけないことなのだ」と書いてある本を見つけたく、いろいろと読み漁りました。

答えは見つからなかったけど、少しづつ、大きな視点で見た私、というものを理解するようになりました。

そして、自由だと思っていたのに、実は他人に合わせて、自身のカタチを変えていたことに気づきました。そんな時、イギリス人の、今の夫に出会います。

生まれ持った気質を土台にした性格と、持病の関係が見えてきた

イギリスに来る直前、伯母のところに居候している時、周りには年寄りが多かったのですが、皆、持病持ち。

「今にあなたもそうなるわよ〜」

と言われた時、その人たちの、持病と性格が、なんだか妙にマッチしていることを発見しました。ここから、病気と性格の関係に興味を持ち始めます。

イギリスは、食べ物はまずいけど、スピリチュアルと代替医療が美味しかった

1996年に、合気道の道場で出会ったイギリス人と結婚をするために、渡英。

最初に住んだケンブリッジは、寒くて暗くて、気が滅入る上、長年の不規則生活がたたって、体力がガタ落ちしていて、いつも風邪をひいて寝込む状態でした。

しょうがないので、英語の勉強がてら、バッチフラワー、リフレクソロジー、指圧などの本を買い、読む端から、自分と、慢性疲労症候群を患っている知り合いにトリートメントを施していました。

翌年、ロンドンに移り、チャイナタウンで香港人の気功マスターのもとで気功を始め、バッチフラワーを学び、レイキはティーチャーまで受け、指圧、気内蔵、リフレクソロジーなどなどのコースに通い、体力を戻すと共に、自宅で施術も始めました。

油断をしてたら、高齢出産

イギリスでは、こういう言葉はないのですが、38歳のマル高出産をしました。

産むまでに漕ぎ着けても、帝王切開もあって、その後の体力がありません。でも、男一人、女一人を持つ、と”知っていた”私は、さらに、4年後に、もう一人産みます。

案の定、幼子と乳飲み子を世話する体力は無く、私を助けている”つもり”で、上の子供だけの面倒を見て、私の世話を全くしない夫に、怒りが湧くようになりました。

シュタイナー教育との出会い

上の子が1歳の時、地元と、ロンドン中心部のシュタイナー教育の幼児用のクラスに通い始めました。これは、本当に、人間らしい人間を育てる教育だ、と感激したのを覚えています。自分の受けた教育と、なんと違うことか!

そして、2歳になる頃には、6歳までの子供の勉強と、その扱い方のワークショップに何度も通い、子供の成長の仕方、子供との話し方や接し方を学びました。ギリシャ時代からある、4つの気質(胆汁質、憂鬱質、多血質、粘液質)の考え方で、シュタイナーは、子供の教育に多くの指針を残しています。そして私たちも、日常で、その気質を踏まえた上で、子供に接していました。

上の子が6歳、下の子が2歳に満たない時点で、ロンドンを出て、赤ちゃんクラスから、最終学年である、12年生まで通える大きなシュタイナー学校のある田舎に引っ越して来ました。そして、夫と共に、7歳から14歳までのシュタイナー教育のあり方も学びました。

理想的な環境で、人間的な子供の教育と、ついてまわる対人関係の苦悩

選んだ土地は、とても素晴らしい環境だし、シュタイナー教育は、人間を育てる教育として、とても奥の深いものです。

でも、外国人、特に東洋人、その上、日本にいてさえ敏感型、とくれば、対人関係は簡単ではありません。英語力は悪くないと言われますが、対人面はやっぱり自信がありません。

自分で選べないグループに入るのは金輪際、嫌だ、と思っていたけど、子供の入るクラスに集まる人たちは、選べません。

お得意の観察力とネガティブ思考で、同じクラスのあの子とあの子はプライベートで遊んでるのに、うちの子は誘われない、など、細かいことが見えてしまいます。その度に苦しい思いをしました。

さらに、2人目を産んだ後の、夫への怒りが深まり、いつもイライラし、少し鬱状態にもなって、「私は1番の存在では無い」という感覚は日常茶飯事でした。

シュタイナーによる音楽へのアプローチと、音叉セラピー

そんな中、レイキ、統合ワークなどを合わせて、少しずつ自分をポジティブに持ち上げていくと、自分の中から、夫への感謝の気持ちが湧き上がるようになり、周りの人の嫌なところよりも、良いところが見えてきたりしました。今まで気になっていたようなことは、気にならないなる、あるいは、今までにない展開になったりと、自然な移行をしてきています。

人智学系の音楽セラピーコースも終え、その中から、音叉と私自身の声を使うことを選び、自分に、他人に、使って効果を上げています。音叉セラピーでは、心身の不調を整えることができます。

以上、私のように、自分に自信が無く、普通に生きていくこと自体が苦しく、人間関係においては、すぐに傷ついてしまったり、居場所が無いと感じたりする方に、私が今まで学んできたことを提供したく、カウンセラーになりました。苦しさの元になる、愛着障害などの問題、さらに、その下地となる気質を一緒に掘り下げ、解決策を見つけます。

カウンセリングの中では、3歳ワーク、マインドハグ、安心感の土台を築くワーク、そして、トラウマ解消のイメージワークなどを適宜用い、自らを解き放つ方向に、私がナビゲートしていきます。

ご興味のある方は、お問い合わせフォームより、ぜひ、ご連絡ください!

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